文章を書くことが嫌いだった。
今でこそ、ブログを書いたり小説を書いたりしているけれど、元々僕は文章を書くのが嫌いだった。
文章を書くというより、自分を表現すること全てが嫌いというか、苦手だった。
そこに関してはまた別な話になって来るのでここでは割愛。
なぜ書くことが好きになったかというと、高校の時の国語の先生との出会いだった。
きっかけはそれ以外に無い。
7つ年上の女性の先生で、僕の人生で唯一の『恩師』と言える。
その先生の授業では週に一回くらいのペースでノートを回収するときがある。
その回収する時の授業の最後で『コメント』という、先生からの質問(授業に全く関係のないこと)の回答をノートに書いて提出する。
それに先生が全部返事をしてくれる。
僕はそれが面白くなった。
作文とかだと、褒められる文章を書かなければいけないという思いがあって、全く鉛筆が進まなかったけど、コメントはまさに自由に書いていいものだった。
2行とかだったものが、徐々に増えていく。
ある日、僕は先生に相談した。
「もっとコメントの回増やしてください。あれ、楽しいです」
今になって思えば、その言葉は教師として嬉しかったのではないだろうかと思う。
すると先生は、
「じゃあ別にノート作って持ってきて良いよ。忙しい時もあるかもしれないけど、毎日返事書くから」
言われた通り、僕はその日の帰り道でノートを買った。
何を書こうか迷って、最初はDir en greyの曲の歌詩を書いた。
その当時一番強烈だった『embryo』のアルバムバージョン。
著作権の為に掲載はしないけど、近親相姦や母の自殺といった、放送コードに引っかかるのでシングルでは出せなかったもの。
ちなみにこんな曲です。公式チャンネルなので何百回でも聴いて。笑
久々に聴いたらいいね。
で、どんな反応が来るかと思ったら、
『近親相姦がテーマかな?大学の文学部とか、周りが聞いたら卑猥な話にしか聞こえないような話ばっかりだけど、それも文学の話なの。大学の先生の夢は、奥さんが死んだら棺桶の中でセックスすることって言ってたよ』
って書いてあった。
引かないんだ……という衝撃。
というより、自分の好きなものを受け入れてもらえた嬉しさから、タガが外れて学校生活の怒りや日々のクラスでの出来事、ニュースを見て思ったことなど毎日書いてた。
そう、ブログを手書きでやるようなものだね、今思うと。
朝学校に行ったら先生の机にノートを出して、帰りに回収する感じ。
ちなみに担任ではないし、担任とはほぼ口を利かない。
『常識』とか『世間的に』を口うるさく言う人で、この当時の僕と合うわけがない。
ちなみに、国語のテストは3年間90点後半台で1度100点の時もあった。
なにしろ、他の教科のテストの前も国語の勉強をしているのだから。
『他はどうでもいいけど、先生の教科だけは本気』というのが、僕の愛情表現というか。
授業中に寝てる人は当然起こされる。
「寝てる人ばっかり構ってもらえるのは嫌だ」
僕はそう言ったことも覚えてる。
人生で唯一、『構ってほしい』みたいな甘えたことを言った人でもある。
その先生が担当しているので、僕は生徒会にも入った。
けど、ここで言っているように、僕は生徒の手によって追い出されるような形となった。
多分、先生と秘密裏に何かしていることが気に入らなかったんだと思う。
その先生に、ノートの中でこんな質問をしたことがある。
『毎日同じ内容の授業をして飽きないんですか?』
飽き性の僕らしい質問。
『飽きるどころか、物語とかもっと深く理解して新し発見もあるし、いろんな人の文章を見るのが大好き。だからコメントもやってる』
『たった51文字の羅列が、人の感情を揺さぶるのって、面白くない?』
僕はその言葉に衝撃を受けた。
濁点を入れたらもっと数は増えるし、英語なら26文字とか野暮なことは言うな。
高校2年生の時のことだ。
文章なんて人が思ってることで、もっと自由でいいよ。とも言われていたので、それ以来、僕は別な授業の作文なども自由に書いては職員室に呼び出されていた。
「常識を考えろ」と担任に言われる度に、「いや、こう思っただけなんで」と返すばかり。
この当時のDir en greyのインタビューの影響なんかも加わり僕の自由度は加速するばかり。
そんな担任とのやり取りを横目に、国語の先生はニヤニヤしていたのを何度か見ている。
そのお説教された足で、2つくらい隣の席の国語の先生の所へ行き、そのまま愚痴る。
「ユウスケらしいなぁ」といつも笑って話を聞いてくれた。
そんな経緯もあって、僕は書くことの恐怖が無くなった。
『言葉』の力
暴力は勿論傷つける。程度によるけど、回復は出来る。
けど、『言葉』で負った傷は一生治ることは無い。
だから僕は腕力での喧嘩はしないようにした。
代わりに『言葉』という武器を手にしたからだ。
そんな『言葉』で癒すことも出来る。
誰しも、映画や漫画の台詞や音楽の歌詞に癒されたことはあるだろう。
それも『言葉』だ。
友達や恋人、家族からの言葉、あるいは好きなバンドマンやアーティストの言葉に奮起したこともあるだろう。
それも『言葉』だ。
『言葉』は僕を変えるし、あなたを変える。
『言葉』が世界を変えて世界を作っていく。
『言葉』が反旗を翻し、過去幾度と変革をもたらした。
各国の文字数がいくつかはしらないけど、それぞれの『文字の羅列』が世界を創る。
10万文字の『文字の羅列』が『文章』となり、『物語』となって、『小説』と呼ばれる。
それが読んだ人の心を動かせたのなら、僕に『も』それは面白いことだ。

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