2nd GIG #0『空洞』

遡ること4年前のことだった。

その日は1月の中でも特に寒い日で、そんな日に限ってドーナツが食べたくなった。

正確には、数日前からこの日に買いに行くと決めていたのに、持ち前の間の悪さを発揮して冷え込んでしまったというわけだ。

そのドーナツ屋は何故かいつも混んでいた。通りを歩く度に行列が出来ていて、初めは何かのイベントでもやっているのかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。

普通に、いつも開店しているドーナツ屋が行列を作っているということで、興味はあった。

この日も例に漏れず行列を成しているドーナツ屋の客。最後尾は2時間待ちとのことだったが、この日に食べると決めていたのでもう引く気はない。

2時間の後に買えたのは4つ。カラフルな丸いドーナツは確かに写真映えもするだろうけど、2時間も待って食べるほどのものだろうか。

近くの公園に行って、空いているベンチを陣取る。2人掛けだけどいいだろう。

途中で買った缶コーヒーもすっかり冷めていた。

もうすっかり夕方になった時間帯のせいもあって、高校生が多いが、今更気にするほどのことではない。

いざ食べようかと思った矢先のことだった。

「そこ、あたしの席」

別にクレームを言うわけでもなく、ただ事実を述べたまでというくらい清々しいくらいの物言いに顔を上げると、女子高生だった。

いつも放課後はこのベンチで過ごしているのかもしれない。それなら、その言い分は納得できるが『公園』であって誰のものでもない。

「手早く済ませるから、食べ終わるまでこのベンチを貸してくれないか?他は埋まってるし」

女子高生は周りを見回すと、納得したように頷いた。そして隣に座った。

「1コくれたらいいよ」

「ドーナツを?まぁ……いいけど」

大の大人がドーナツ1つ渋るのも……と思って、袋を開けて取らせると、袋から取り出した手には2つ掴まれていた。

「1つって言ったのに……」

「半分こでいいじゃん」

正直、買った時点で満足してしまってたし、それはそれでどうでもよかった。

1つ食べ終わった女子高生は、もう1つを食べようとはしなかった。代わりに、空に掲げて穴の中から覗いていた。

「それは、若い子の間で流行ってんの?」

「空洞から見える世界ってどんなのかなって」

ただの変わった子らしい。髪色も明るくて、ちょっと派手な、でも所謂ギャルでもない絶妙な子。

「なんでドーナツって穴空いてるの?」

「さぁ……アイデンティティだろ」

「アイデンティティ?」

「穴の開いてないドーナツもあるけど、誰もがドーナツって聞いたらその輪っかの形を連想する。だからもうその空洞はアイデンティティなんだよ」

女子高生は、目をパチパチさせて感心したように俺を見て来た。

「空洞が……アイデンティティ……」

「そんな真剣に聞く話でもないって。ただの思い付きだし」

そうこうしている間に、俺は食べ終わって、盗られついでに缶コーヒーも渡してみたが、ブラックは嫌だと拒否された。

「カフェオレなら貰ったのに」

「態度でかい……女子高生怖い」

缶コーヒーを開けて、口の中の甘みを流し込んでいると、女子高生はぽつりと言った。

「死んだら、何か変わるかな?」

突飛な質問に、俺は彼女の方を見た。何か期待したような雰囲気でもなく、その答えの正解がわからなかった。

「何も変わらない。関わった人は悲しむだろうけど、それくらい。世の中は普通に日が沈んで、また日が昇ってそれを繰り返すだけ」

「……確かに」

ふぅっと息を吐いた女子高生は、空を眺めるばかりだった。そして、とんでもないことを言い出す。

「つーか、いたいけな女子高生が自殺をちらつかせてんのにド正論かますんだ?」

「いたいけな女子高生はドーナツ勝手に取らない」

「これで死んだらどうすんの?」

「どうもしねーよ。このベンチから離れたらもう最後、死んだかどうか知ることも無いし」

「呪って枕もとに出てやる!」

「それなら枕もとにカフェオレでも用意しとこうか」

女子高生は黙った。右手に持ったままのドーナツを食べようともせず。

「大体、世の中綺麗ごとや理想論に毒され過ぎなんだよ。どんなに前向きな言葉を並べようと、あるのは『現実』だけ。その現実に立ち向かうのは自分自身だけ。それだけなんだよ」

「面白いね。綺麗ごとなのに『毒』って」

「現実から目を背けても何も無い」

缶コーヒーも無くなって、ここにいる理由も俺には無くなった。

「ベンチ、返すよ。要は済んだし。ありがとう」

まるで、俺がまだまだいると思っていたのか、女子高生は少し驚いたような顔だった。

「最後に1つ言っておく。可愛いんだから変に大人に絡まない方がいいぞ。危ない目に遭うこともあるし。じゃあな」

公園の出口まで歩き出そうとしたとき、

「明日も食べたいな」

と、背後から聞こえた。

「2時間も並んだんだぞ?」

「でもきっと並ぶよ」

「そのドーナツから何が見えるんだよ」

「魔法のドーナツだから何でも見えるよ。あなたは明日も女子高生とドーナツを食べたくなってるー」

「なるか!」

振り返ると、ようやくドーナツを口にしていたけれど、相変わらず空を眺めたままだった。

翌日

まんまと、ドーナツ屋に俺は向かっていた。しかも今日は天気もいいせいで3時間待ちだ。

公園に行って昨日のベンチに座って、スマホを見ていると、

「ほらね」

得意げな声に目をやると、黒いコートにジーンズで私服だった。

「学校休みなのか?」

「ごめんね。女子高生とドーナツ食べれなくて」

「は?いや、来たじゃん」

 ポケットからカフェオレの缶を出して渡してやると、嬉しそうだった。

「辞めた。学校」

「……1月だし、あと1年ちょっとじゃないのか?」

当然のようにドーナツの袋を取り、中を開けると今度は1つだけ取った。

「ううん。3年だからもうちょっとで卒業だったよ」

「だったらなんで……」

「綺麗ごとに毒され過ぎな世の中に流されないように……かな?」

なんで俺のせいみたいに言うんだよ……。

「あたしは陽月いろは。あなたは?」

「言月遊……ちょっと待った。これで終わりだろ?関係は」

「学校まで辞めたのに?」

当然のことのようにいろはは言う。まるで責任取れとでも言うように。

初めて会った日の前日、いろはの親友が自殺したことをし教えてくれたのは、それから3か月後のことだった。

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