カテゴリー: 子どもとの生活

  • 親になって初めて「これは無理だ」と思った日

    仕事がやたら忙しい月末だった。

    休日出勤もあって、
    正直、疲れはピークだった。

    やっと取れた休みは、
    たった1日。

    でもその日、
    妻と義母は一緒に出かけていて、
    子ども2人を、1人で見ることになった。


    本音を言えば、
    寝ていたかった。

    体も頭も、
    完全に休みを欲しがっていた。

    でも、
    子どもたちは当然そんなことは気にせず公園に行きたがる。

    正直、
    休みの日はほとんど子どもの相手で終わる。

    自分の行きたい場所に行けるわけでもなく、
    やりたいことができるわけでもない。

    それがしんどくて、

    「もう機械みたいに仕事して、
    子どもの相手して、
    それで人生終わればいいや」

    そう思っていた時期もあった。

    2人が保育園の頃は、
    本当に意思疎通が取れなくて大変だった。

    今は小学生になって、
    話は通じるようになったし、
    「今日は疲れてるんだな」
    って察してくれるようにもなった。

    それは、正直ありがたい。

    でも同時に、
    気を使ってくれている長男が、
    全力で遊べていない感じがして、
    それが申し訳なかった。


    このままじゃ、
    たぶん一番先に壊れるのは自分だと思った。

    子どものために頑張ってるつもりでも、
    余裕のない大人は、
    結局まわりに気を使わせる。

    だから、
    何かを「頑張ろう」としたわけじゃない。

    ただ、
    これ以上しんどくならないために
    体力だけは落とさないようにしようと思った。

    それが、
    筋トレを始めた一番の理由だった。

    子どもが少しずつ、
    こっちの余裕を察するようになった。

    それが嬉しくもあって申し訳なくもあった。

    親になってから、「無理だ」と思うことは減らない。

    ただ……、無理だと思えるようになった分、
    ちゃんと向き合えるようにはなった気がする。

    この寒空の中(12月28日)でも子ども達の公園通いは変わらない。

    今日は、そんな話。

  • ご飯を食べているだけで、時間が進んでいることに気づいた夜

    夕飯の時間のこと。

    子どもたちが生まれたばかりの頃、
    というより、離乳食が始まった頃は、
    毎回スプーンで食べさせていた。

    外食に行けば、
    床もテーブルもぐちゃぐちゃ。

    妻と交代で食べて、
    自分のカレーは冷めて、
    ラーメンはだいたい伸びていた。

    「まぁ、今はこんなもんだよね」
    そう思っていた。


    でも今は違う。

    小学生になった2人は、
    当然のように自分でご飯を食べている。

    長男は、
    自分でインスタントラーメンを作るし、
    リンゴも剥いて食べる。

    いつの間にか、
    「手伝う側」から
    「横で見てる側」になっていた。


    そんなことを考えながら、
    夕飯を食べていた。

    特別なメニューでもない、
    いつものご飯。

    次男が、
    黙々とご飯を掻き込んでいるのを見て、
    ふと、思った。

    「あぁ、成長したな」

    そのまま少し、
    じっと見ていたら。

    次男が顔を上げて、
    一言だけ言った。

    「なに?」


    「いや、別に……」

    それだけ返して、
    そのまま夕飯は続いた。

    何かを話したわけでもないし、
    感動的なやり取りがあったわけでもない。

    ただ、
    自分がいつの間にか
    「大人側」に完全に移っていたことに、
    その一言で気づいただけだった。


    子どもは、
    昨日と同じようにご飯を食べていただけ。

    変わったのは、
    たぶん自分のほうだった。

    こういう何でもない瞬間で、
    時間はちゃんと進んでいる。

    それだけの話。

    「辛いのは今だけ」って言う人がいる。

    たぶん、それは本当なんだと思う。

    でも、
    その「今」はずっと形を変えながら続いていく。

    楽な時期なんて、
    結局なかった気もする。

    それでも、
    こうして成長に気づく瞬間があると、
    過去の自分は、
    ちゃんとそこにいたんだなと思える。

    今日はそれで十分だった。

  • 次男とスーパーのイートインで駄菓子パーティーをした日

    金も目的もない時間が、いちばん贅沢だった話

    予定のない時間が、いちばん良かった

    次男と、公園で遊んでいて、おやつの時間になった。

    帰る口実も兼ねて、
    スーパーのイートインコーナーで
    ちょっとした駄菓子パーティーをすることにした。

    特別な日でもない。
    誕生日でも、ご褒美でもない。

    家まで歩いて帰るための休憩もしたかったし、
    「ここで食べていく?」
    それだけの流れだった。

    でも、
    なぜかこの時間がやけに印象に残っている。

    思い返せば、
    僕自身が父親とこんな時間を過ごした記憶はない。


    駄菓子とジュースだけで成立する時間

    テーブルの上に並んだのは、

    • 駄菓子
    • ジュース
    • コーヒー

    合計しても、たぶん数百円。

    それなのに次男は、
    ひとつひとつを真剣に選んで、
    ゆっくり食べていた。

    「どれから食べようかな」
    そんな顔をして。

    高いものでも、豪華でもない。
    でも、ちゃんと楽しい時間だった。

    まぁ、
    駄菓子も僕が子どもだった頃より
    すっかり高くなってしまったけど。

    昔は100円あれば、
    何を買うか悩む時間そのものが楽しかった。

    今は100円では、
    その「悩む楽しみ」もあまり残っていない。


    子どもは「場所」より「空気」を覚えている

    たぶん次男は、

    • どこのスーパーだったか
    • 何円だったか

    そんなことは覚えていないと思う。

    でも、

    • 一緒に座って
    • 同じものを食べて
    • くだらない話をした

    この「空気」だけは、
    案外ずっと覚えている気がする。

    子どもって、
    イベントより日常のズレを覚えている。

    特に次男は、
    何気ない会話をよく覚えている。


    親として、何かを教えたわけじゃない

    この時間に、

    • 説教もしていない
    • 教育的な話もしていない
    • 将来の話もしていない

    ただ、
    一緒に座って、食べただけ。

    目の前のガラスに止まった
    大きなハエの動きを眺めながら、
    ゆっくり過ごした。

    それでいい時間もある。

    「何か意味のあることをしなきゃ」
    そう思いすぎなくていい。


    長男のことも、少しだけ

    このあと、
    祖母と買い物に来ていた長男たちも、
    たまたま同じスーパーに来た。

    次男のジュースを見て
    「いいなぁ」と言うので、
    150円だけ渡して、1人で買い物をさせてみた。

    平然とセルフレジをこなして戻ってきた。

    最近の子どもは、やる。

    次男の話が中心だったけど、
    この日は長男の成長も感じた日だった。

  • マイクラが得意な次男を見て、「自由が得意な人もいるんだ」と思った話

    次男(小学1年生)は、
    Nintendo Switchでマイクラをやるのが得意だ。

    もちろん最初は、
    操作方法も分からず、
    何をしていいかも分からず、
    イライラしながらやっていた。

    でも、始めてから1年ほど経った今は違う。

    とんでもないスピードでブロックを並べ、
    独創的な家を作っている。

    それがただの箱じゃなくて、
    「実際に住めそうな内装」だったりするから驚く。


    「大人になったら一級建築士になる」

    そんなある日、
    次男がぽつりとこう言った。

    「大人になったら、一級建築士になる」

    正直、びっくりした。

    別に教えたわけでもないし、
    誘導した覚えもない。

    ただ、
    自分で考えて、
    自分で作ってきただけだ。

    勿論、凄い家を作ってることは家族も驚いたし、褒めたりもしたのが効果あったのかもしれないけど。


    僕は、自由が苦手だった

    それを見ていて、
    ふと思った。

    自分が子どもの頃、
    もしマイクラを渡されていたら
    どうだっただろう。

    たぶん、楽しくなかったと思う。

    「自由にやっていいよ」
    と言われると、
    何をしていいか分からなくなるタイプだった。


    ゴールがある方が安心する

    RPGのように、

    • 目的があって
    • ゴールがあって
    • 次に何をすればいいか分かる

    そういうゲームは好きだった。

    でも、

    • 正解が無い
    • ゴールも無い
    • 好きにしていい

    そういう世界は、
    今でも少し苦手かもしれない。

    どうぶつの森とかも、妻はスマホでやっていたけど、何して良いか分からないゲームにはやっぱり魅力を感じない。


    長男は、僕に似ている気がする

    長男を見ていると、
    そこは少し自分に似ている気がする。

    自由度が高いものより、
    「これをやればいい」と決まっている方が安心する。

    それは良い悪いの話じゃない。

    ただ、
    向き不向きの違いだと思っている。

    ただ、長男は僕と違って運動神経がとてつもなく良いので、それぞれ長所があって良かったなと思う。


    自由が得意な人も、ゴールが必要な人もいる

    次男を見ていて思うのは、

    • 自由を楽しめる人もいる
    • ゴールが無いと動けない人もいる

    ということ。

    どちらが上とか、
    どちらが正解とかではない。

    ただ、
    得意な形が違うだけ。


    親として思ったこと

    子どもを見ていて、
    何かを教えようと思ったわけじゃない。

    親として何かを教えたわけじゃない。

    ただ、
    「この子はこういう世界が得意なんだな」
    と知れたのが、少し嬉しかった。

    無理に型に当てはめなくていいし、
    自分と同じじゃなくてもいい。

    そう思えただけで、
    十分だった。


    まとめ

    • マイクラが得意=才能、ではない
    • 自由を楽しめる性質があるだけ
    • ゴールが必要な人も、同じくらい普通

    子どもを見て、
    自分のことを知る。

    そんな瞬間があってもいい。

  • 理想の父親像を考えたことがなかった僕が、

    範馬勇次郎にだけは憧れた理由


    正直に言うと

    父親になってから10年が経つ(2025年時点)けど、理想の父親像なんて、
    これまで考えたことがなかった。

    自分自身が、
    父親とあまり仲が良くなかったからだと思う。

    仕事でいない日は嬉しかったし、

    いなくなって欲しいとずっと思っていた。

    だから
    「こういう父親になりたい」という像を、
    持たずにここまで来た。

    当時の自分にとって、
    父親は「一緒にいたい存在」ではなかった。

    そう感じていたのは、事実だ。


    初めて憧れた父親像

    そんな僕が、
    初めて「父親としてこうありたい」と思えたのが、
    漫画『範馬刃牙』に出てくる 範馬勇次郎 だった。

    普通に考えれば、
    父親の理想像として名前が挙がるキャラじゃない。

    暴力的で、
    破天荒で、
    人間としてどうなのかと言われがちな存在だ。

    それでも、
    親子喧嘩編を読んでどうしても惹かれてしまった。


    強さの見せ方が違った

    勇次郎の強さは、
    ただ相手をねじ伏せることじゃない。

    マナーや作法を身につけ、
    全力で向かってくる息子・刃牙を、
    逃げずに、真正面から受け止める。

    強い憎しみを抱いているはずの刃牙ですら、
    その姿に、思わず心を動かされてしまう。

    そこにあったのは、
    威圧でも支配でもなく、
    受け止められる余裕だった。

    それに、昨今ではなぁなぁにして甘やかす人も多い中、勇次郎は躾もしっかり行う。

    これは大事。


    強さは、使い方次第で優しさになる

    作中で明かされるのは、
    勇次郎がただ戦う男ではないということ。

    彼は戦いを求めて
    各地の紛争地帯に身を置いてきたが、
    その背後には常に
    守られる側の人間がいた。

    結果として、
    弱い立場の人間を救ってきた存在でもあった。

    強さは、
    振り回せば暴力になる。

    でも、
    使い方を間違えなければ、
    優しさとして機能する。

    そう感じた。


    40代になって思うこと

    今の自分は、
    勇次郎のように強くはない。

    戦えるわけでもないし、
    圧倒できる力もない。

    それでも、
    目指したい在り方は分かる。

    • 逃げない
    • 崩れない
    • 子どもの全力を受け止める

    声を荒げることじゃない。
    支配することでもない。

    佇まいで伝わる強さ。

    40代になった今、
    自分が目指したいのは、
    そういう父親なのかもしれない。


    まとめ

    理想の父親像を
    最初から持っていたわけじゃない。

    でも、
    勇次郎を見て初めて、
    「こういう強さなら、持っていたい」と思えた。

    強さは、
    誇示するものじゃない。

    誰かを守るために、
    静かにそこに在るものだ。


    最後に

    この話に
    正解も教訓もない。

    ただ、
    同じように
    「父親像を考えたことがなかった人」にとって、
    何か引っかかるものがあれば、それでいい。

    うちの子たちは、公園で一緒に遊ぶのが好きみたいです。

    『父親』と遊ぶのが好きなんて、変わった子たちだなぁと他人事のように思っているけど、理想の父親に近づけているからかもしれない。

  • 40代、クリスマスの食べ放題で胃の限界を知った夜

    クリスマスは、家族イベント

    クリスマスの日、
    夜ご飯に食べ放題のお店に行った。

    焼肉もあるし、寿司もある。
    唐揚げにポテト、デザートも豊富。

    いい歳だけど甘いものは昔から好きなので、デザートに気が向いてしまう。

    食べ放題のお店のデザートって特別美味しいってわけではないけど、どうしても食べてしまう。

    子どもや妻は色付きの綿飴まで作れるから、
    それでテンションが上がってた。

    この時点で、
    もう勝ちみたいなものだと思っていた。


    久々の焼肉に、気合いだけは十分

    正直、
    焼肉なんてかなり久しぶり。

    子どもも小学生ともなると、それなりに食べるようになってきたので気軽に行けるものではなくなってしまったし。

    「今日は食うぞ」
    と、気合いだけは一人前。

    ただ、
    元々食が細いのは自覚している。

    それでも
    気合いでどうにかなると思っていた。

    というか、せっかく来たんだし、『食べ放題』なんだから食べたいよね。


    年々、食べられなくなっている現実

    でも、
    明らかにおかしかった。

    • 肉が入らない
    • 油が重い
    • ペースが遅い

    「こんなはずじゃなかった」
    と思いながら、
    年々食べられなくなっている事実を
    しっかり突きつけられる。

    40代、
    胃は正直だ。


    甘いものは別腹…のはずだった

    甘いものは好きだ。

    だから
    「アイスとケーキは別腹」
    という言い訳を信じて、
    デザートにも手を出した。

    結果。

    どんなことを言っても、物理的に胃は一つしか無い。

    しっかりお腹を壊した。

    アイス山盛りに、ソフトクリーム山盛りに。プチケーキ的なのも一通り食べたらそりゃあねぇ……。


    楽しかったし、後悔はない

    正直、
    苦しくはなった。

    でも、

    • 子どもは楽しそうだった
    • 妻も喜んでいた
    • クリスマス感はちゃんとあった

    だから、
    後悔はしていない。

    ただ一つ思ったのは、
    もう若くはないということ。


    40代の食べ放題は、戦い方が違う

    量で勝負する年齢じゃない。

    • 無理しない
    • 好きな物だけ食べる
    • 途中で引き際を考える

    これが
    40代の正しい食べ放題の向き合い方だと思う。


    まとめ 胃は一つしか無い

    • 気合いは通用しない
    • 胃の容量は増えない
    • でも家族イベントは楽しい

    クリスマスの夜、
    食べ放題でしっかり学んだ。

    胃は一つしか無い。

    次は、
    もう少し賢く食べようと思う。

    そうは言っても、また同じことを繰り返すのも40代だ!!笑

  • 最強王図鑑カルタで遊んでたら、子どもがカタカナ満点だった話

    結論から言うと

    勉強はさせていません。
    ただ、一緒に遊んでいただけです。

    それだけで、
    学校のカタカナ書き取りテストで
    クラスで唯一、満点を取ってきました。

    正直、
    一番驚いているのは親です。


    家でやっていたのは「最強王図鑑カルタ」

    そもそも『最強王図鑑』て……?

    という人はこちら→アニメ公式サイト

    元々は本だったのが、アニメ化されて、うちの子(特に小学1年生の次男)がドハマりしております。

    本は学校の図書館でも予約待ちになるほど人気で、1年生に限らず人気のようです。

    そんな最強王図鑑から発売され、家でよくやっているのが、
    最強王図鑑のカルタ

    理由は単純で👇

    • 子どもが好き
    • バトル系で食いつく
    • 親も付き合える

    いわゆる
    「勉強目的」ではありませんでした。


    カルタで遊んでいただけなのに

    気づけば👇

    • カタカナを普通に読んでる
    • 書き取りでも詰まらない
    • 「これ◯◯だよね?」と確認してくる

    教えた記憶はほぼ無し。

    キャラ名がほとんどカタカナなので、自然とカタカナを覚えているみたいです。

    そして、このカルタは特殊で、

    画像の下の3枚が読み札で、キャラ名の頭文字が絵札の文字になるわけです。

    つまり、絵札の文字の前に説明文が来るので、その説明文を覚えてしまっているので、キャラ名読む前に取ってしまうという。笑

    買ってから毎日、兄(小学3年生)と
    何度も見て、声に出して、取ってただけ


    テスト当日、持って帰ってきた結果

    学校のカタカナ書き取りテスト。

    結果は👇
    満点。

    しかも👇
    クラスで唯一だったらしい。

    ここで初めて、
    「あ、これ効いてたんだな」
    と気づきました。


    親として感じたこと

    正直👇

    • 勉強させるのは面倒(勉強自体は当然嫌い)
    • 教え方も分からない
    • 仕事終わりに余裕もない

    でも👇
    一緒に遊ぶ時間なら作れる。

    最強王図鑑カルタは、
    その“ちょうどいい接点”でした。


    教材として見ると、たぶんこういう理由

    専門的な話はしませんが👇

    • 文字を「読む」
    • 声に出す
    • 反復する
    • 楽しい

    これが自然に揃ってた。

    結果、
    覚えたというより、染み込んだ
    そんな感じです。


    同じ立場の親へ

    • 勉強させるのが苦手
    • 教材選びで迷う
    • 子どもと何して遊ぶか悩む

    そんな人には👇
    「一緒に遊べる」
    これだけで選ぶのもアリだと思います。

    うちはこれでした👇
    👉 最強王図鑑カルタ(Amazon)


    まとめ|教えなくても、覚える時は覚える

    • 勉強目的じゃなかった
    • ただ一緒に遊んでただけ
    • 結果、カタカナ満点

    親が頑張らなくても、
    環境が合えば勝手に育つ。

    これは
    たまたま上手くいった一例だけど、
    同じ立場の人には
    参考になるかもしれません。

    ちなみに、その次男は『危険生物図鑑』も好きなんです。

    こちらもカタカナが多いし、なんとかかんとかオオムカデとか、聞いたこともない名前を言ってくるので、好きなものはやはり好きなだけやらせておくのが良いかなと思いました。

    そんな次男、マイメロも好きというギャップがあります笑