金も目的もない時間が、いちばん贅沢だった話
予定のない時間が、いちばん良かった
次男と、公園で遊んでいて、おやつの時間になった。
帰る口実も兼ねて、
スーパーのイートインコーナーで
ちょっとした駄菓子パーティーをすることにした。
特別な日でもない。
誕生日でも、ご褒美でもない。
家まで歩いて帰るための休憩もしたかったし、
「ここで食べていく?」
それだけの流れだった。
でも、
なぜかこの時間がやけに印象に残っている。
思い返せば、
僕自身が父親とこんな時間を過ごした記憶はない。
駄菓子とジュースだけで成立する時間
テーブルの上に並んだのは、
- 駄菓子
- ジュース
- コーヒー
合計しても、たぶん数百円。
それなのに次男は、
ひとつひとつを真剣に選んで、
ゆっくり食べていた。
「どれから食べようかな」
そんな顔をして。
高いものでも、豪華でもない。
でも、ちゃんと楽しい時間だった。
まぁ、
駄菓子も僕が子どもだった頃より
すっかり高くなってしまったけど。
昔は100円あれば、
何を買うか悩む時間そのものが楽しかった。
今は100円では、
その「悩む楽しみ」もあまり残っていない。
子どもは「場所」より「空気」を覚えている
たぶん次男は、
- どこのスーパーだったか
- 何円だったか
そんなことは覚えていないと思う。
でも、
- 一緒に座って
- 同じものを食べて
- くだらない話をした
この「空気」だけは、
案外ずっと覚えている気がする。
子どもって、
イベントより日常のズレを覚えている。
特に次男は、
何気ない会話をよく覚えている。

親として、何かを教えたわけじゃない
この時間に、
- 説教もしていない
- 教育的な話もしていない
- 将来の話もしていない
ただ、
一緒に座って、食べただけ。
目の前のガラスに止まった
大きなハエの動きを眺めながら、
ゆっくり過ごした。
それでいい時間もある。
「何か意味のあることをしなきゃ」
そう思いすぎなくていい。
長男のことも、少しだけ
このあと、
祖母と買い物に来ていた長男たちも、
たまたま同じスーパーに来た。
次男のジュースを見て
「いいなぁ」と言うので、
150円だけ渡して、1人で買い物をさせてみた。
平然とセルフレジをこなして戻ってきた。
最近の子どもは、やる。
次男の話が中心だったけど、
この日は長男の成長も感じた日だった。
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