理想の父親像を考えたことがなかった僕が、

範馬勇次郎にだけは憧れた理由


正直に言うと

父親になってから10年が経つ(2025年時点)けど、理想の父親像なんて、
これまで考えたことがなかった。

自分自身が、
父親とあまり仲が良くなかったからだと思う。

仕事でいない日は嬉しかったし、

いなくなって欲しいとずっと思っていた。

だから
「こういう父親になりたい」という像を、
持たずにここまで来た。

当時の自分にとって、
父親は「一緒にいたい存在」ではなかった。

そう感じていたのは、事実だ。


初めて憧れた父親像

そんな僕が、
初めて「父親としてこうありたい」と思えたのが、
漫画『範馬刃牙』に出てくる 範馬勇次郎 だった。

普通に考えれば、
父親の理想像として名前が挙がるキャラじゃない。

暴力的で、
破天荒で、
人間としてどうなのかと言われがちな存在だ。

それでも、
親子喧嘩編を読んでどうしても惹かれてしまった。


強さの見せ方が違った

勇次郎の強さは、
ただ相手をねじ伏せることじゃない。

マナーや作法を身につけ、
全力で向かってくる息子・刃牙を、
逃げずに、真正面から受け止める。

強い憎しみを抱いているはずの刃牙ですら、
その姿に、思わず心を動かされてしまう。

そこにあったのは、
威圧でも支配でもなく、
受け止められる余裕だった。

それに、昨今ではなぁなぁにして甘やかす人も多い中、勇次郎は躾もしっかり行う。

これは大事。


強さは、使い方次第で優しさになる

作中で明かされるのは、
勇次郎がただ戦う男ではないということ。

彼は戦いを求めて
各地の紛争地帯に身を置いてきたが、
その背後には常に
守られる側の人間がいた。

結果として、
弱い立場の人間を救ってきた存在でもあった。

強さは、
振り回せば暴力になる。

でも、
使い方を間違えなければ、
優しさとして機能する。

そう感じた。


40代になって思うこと

今の自分は、
勇次郎のように強くはない。

戦えるわけでもないし、
圧倒できる力もない。

それでも、
目指したい在り方は分かる。

  • 逃げない
  • 崩れない
  • 子どもの全力を受け止める

声を荒げることじゃない。
支配することでもない。

佇まいで伝わる強さ。

40代になった今、
自分が目指したいのは、
そういう父親なのかもしれない。


まとめ

理想の父親像を
最初から持っていたわけじゃない。

でも、
勇次郎を見て初めて、
「こういう強さなら、持っていたい」と思えた。

強さは、
誇示するものじゃない。

誰かを守るために、
静かにそこに在るものだ。


最後に

この話に
正解も教訓もない。

ただ、
同じように
「父親像を考えたことがなかった人」にとって、
何か引っかかるものがあれば、それでいい。

うちの子たちは、公園で一緒に遊ぶのが好きみたいです。

『父親』と遊ぶのが好きなんて、変わった子たちだなぁと他人事のように思っているけど、理想の父親に近づけているからかもしれない。

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