『誰か』は自分ではない
20歳くらいの頃、めちゃめちゃ辛いことがあった。
誰かに理解してほしかった、なんて言葉すら浮かばない種類のやつ。
まぁ、誰でもあること。
地元いたころにネットで知り合い、会ってもいないのに付き合って遠距離恋愛からスタートした彼女。
1年くらい経って、実は3股していたことが発覚して……というより、浮気相手の奥さんにバレそうなんだけど、どうすればいい?って、夜中に電話してきて。
あれ?俺は彼氏じゃなかったかな?と思いつつも、冷静に浮気していることを話してくれたその彼女。
どうすれば良いかと聞かれたので、こちらも冷静にどうすれば良いかを答えた。
答える義務はないはずだけど、聞かれたから答えるというくらいのもので、何も考えていない。
まぁ、後からその事実を噛みしめて辛さは来たわけだけど。
その当時のバイト仲間の女性に、話したところ、どうにも反応が軽い。
こちらのダメージがうまく伝わっていない感じ。
伝わるわけがない。
だって、その人は僕からの『言葉』でしか、辛さを測れないし、こちらとしては『言葉』にならない何とも言えない感情が渦巻いているわけで。
その時に、僕は理解してもらおうとするのはやめました。
20歳か、21かその辺だったと思う。
そんなわけで、僕も人の辛さを理解することは出来ない。
始めから、しようともしない。
その人じゃないし、どんなにその辛さを『言葉』にしてくれても、きっと『感情』は伝わらない。
本当に辛くて心が痛くて、叫び出したい想いまでは絶対にわからない。
仮に、僕がそうなったときに『わかるよ?』って寄り添ってもらえても、申し訳ないけど、「わかるわけねぇだろう!」ってなるから、僕は軽率に理解している素振りはしない。
ドライかもしれない。
けど、表向きの理解は不要だとは思わないかい?
ちなみに、渦巻いた心の底の叫びを代弁してくれるような気持ちになるのが、DIR EN GREYのLIVE。
言葉にしなくても、寄り添ってくれる、理解してくれているという気持ちになる。
マイナスの感情も伝わらないけど、プラスの感情も、上手く伝わらないものなんだなと思ったのも、21歳くらいの頃。
当時のバイトで、とても好きな人がいた。
この人についてはいずれちゃんと書きたいし、まぁ、他にも書きたい人はいる。
仕事で会うたびに、「可愛い」とか、「好き」とかそういうアピールはしていたけど、『LIKE』の方に捉えられてしまっていた。
難しいものだよ、感情を伝えるというのは。
淡々とこう書いている文章の中でも、過去のことだったり、ジリジリとした熱さが伝わればいいとは思うけど、無理だろう。
期待してない。
目の前の事実だけが全て。
あなたには、淡々と綴られているこの文字だけが全て。
そういえば、3股彼女と別れてから数年後に発売したこの曲、歌詞がものすごく刺さって、今でも好きです。
ギルガメッシュ 「終わりと未来」
この曲は入ってないけど、カッコいいアルバム。
マジで復活して欲しいバンドなのにな……。


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